花はす物語

昨年の「高野山教報」より引用させて頂きお書きします。

 蓮は泥水の中から美しい花を咲かせるので、人の生き方の理想にたとえられたり、仏さまの慈しみのはたらきにたとえられたりします。私たちが目にする仏さまの多くは、端正な蓮の花の台(うてな)の上にいらっしゃいます。

 冬の間、暖かい泥の中で十分な休息をとった蓮根は、春になるとぐんと茎を伸ばし、水の上に左右に巻いた状態の葉を出してきます。そして水面にのぞかせた小さな葉っぱから地上の空気と光をいっぱいに吸い込んで、今度はもっと大きくてりっぱな葉を立ち上げます。やがて夏が近づくと、大きく茂った葉の間から花の蕾をすっとのぼらせてきます。

一つの蓮の花の寿命はわずか四日間です。蕾の状態の花はゆっくりと口をあけます。二日目にはお椀の形になり、この時色も香りも最も強く鮮やかになります。三日目には、お椀形から皿形に変化します。もう色も香りも弱くなり、花びらも散りはじめます。四日目の午後には、ひとひらもなくなり、花託(かたく)と呼ばれる花の台だけが残ります。

昭和天皇は昭和六十三年の夏、闘病生活の中で、

このような歌を詠んでおられます。

夏たけて 堀のはちすの

花みつつ 仏の教え

憶(おも)う朝かな

御所のお堀に咲く蓮の穏やかで尊い様子をご覧になられ、詠まれた歌です。

何者にも汚されることがない尊い蓮の姿を見られ、仏の説かれる自然の摂理、命の尊さをお感じになられたのかもし

れません。

「憶う」という言葉は、仏教経典の中にも、度々使われる言葉です。単に「思う」ということではなくて、「自らの

心の中に念じて思いとどめていく」という意味です。

生きている限り、人それぞれいろいろなことがあります。

そのような時、ほとけの教えを信じ、心の中に尊い蓮の姿を思い止めることができるなら、自然と心が落ち着くのかも

しれません。

 

合掌

白真ん中の部分を「花たく」と言い、蓮の台(うてな)と呼ばれます。仏さまがおられる場所です。